貴方は知っていますか?
張超を?
三国志演義での登場回は第5回。
反董卓連合軍の第11鎮として登場。
何かしてくれるかとおもいきや、反董卓連合軍結成から解散まで、特にこれといった活躍の描写は一切なし^^;
チャイナサイトでチェックしたら…あった^^;
臧洪を自分の軍師とし、臧洪の計略を常に用いており、まるで張繍と賈クの間柄と同じであったと言われている。
張超はかつて臧洪をこのように褒めたことが。
「臧洪の才略は群を抜いており、愛すべき士であり、海内の奇士である」
と。
檄文を見た張超は臧洪を連れ、反董卓連合軍に参加。
兄の張バクを誘った。
張超は文武両道の人物であり、臧洪、田疇、陳容の四人とともに「北の4友」と呼ばれていて、名声は高かった。
再登場は三国志演義第12回。
呂布が曹操の留守を狙って濮陽を奪取。
曹操が濮陽まで押し寄せると、呂布が迎撃しましたが、田氏という富豪が呂布の留守をいいことに曹操軍に内応。
呂布は定陶まで落ち延び、そこで追撃してきた曹操軍と戦ったものの敗北。
定陶から更に落ち延びる途中、張超は自刃。
この時軍師と言ってもよい臧洪は張超の身辺にはいなかったんですね。
袁紹より東郡大守を命じられていたからです。
張超は臧洪がいないことを悔しがり、「臧洪がいたらこの難局から救ってくれただろう」
と、こぼしており、臧洪への深い信頼を寄せていた事がわかる。
ちなみに、臧洪は袁紹に張超を救援かつ曹操を討つよう薦めましたが、優柔不断の袁紹は煮え切らず却下。
これに怒った臧洪は東郡を上げて袁紹に対して謀反。
もちろん、あっけなく負けてしまいましたが、張超との友情、信頼関係は篤いものがありました。
このとき陳容も臧洪とともに殺されています。
演義では小物、モブ武将扱いされていますが、人望があり、文武両道だったので、三国志演義後半だったらスポットライトが当たったろうに…。
なかなかの人物でした、張超!