張純・張挙の乱 黄巾賊討伐後の後漢末の朝廷を苦しめた 元中山太守 - 三国志演義前半戦!雑魚モブ武将を拾い読み!

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張純・張挙の乱 黄巾賊討伐後の後漢末の朝廷を苦しめた 元中山太守



大半の黄巾賊を討滅したものの、後漢末朝廷の脆さは中華全土の知ることとなりました。。。。

その間隙をついて独立したのが張純・張挙兄弟です!

張純
狂気を感じさせる張純。かっけー!


演義では第2回に登場。
幽州漁陽郡にて挙兵。
張純は中山太守でしたが、後漢末の混乱に乗じて安定王を名乗り、烏桓丘力居と結託して青洲・徐州・幽州、冀州を荒らしまくりました。

朝廷は十常侍に牛耳られていましたが、公孫サンに平定を命じました。
白馬義従に勝てなかったのか、張純らは敗退。
弟の張挙は部下へ激しい暴力を奮い、虐待をしていたため、部下に恨まれて刺殺されました。

公孫サンとの戦いは劣勢でしたが、なんとか持ちこたえたようです。


朝廷は続いて劉虞を派遣。
劉虞は烏桓に対して懐柔策を試み、丘力居を帰順させ、張純を孤立させました。

張純らは鮮卑を頼って逃亡しましたが、部下に裏切られ殺害されました。


いずれも部下に殺された張純・張挙。

挙兵の元々の発端は、張温という人が、公孫サンを韓遂・辺章討伐の司令官に起用したことに不満を抱いたためです。
よっぽど、韓遂たちに恨みがあったのでしょうか・・・張純。
根本的な不満はあるのでしょうけど、こんな理由で駆りだされた兵隊たちは可哀相ですな。。。


張純・張挙の乱は、後漢末では大きな乱だったようですね。。。合掌。
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