三国志演義の前半(黄巾の乱~三国鼎立ギリギリ前)の雑魚武将を取り上げます。呂布、董卓追討軍や袁紹の官渡の戦いあたりもオツだね!
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投稿日:2013.01.30 カテゴリ:董卓軍 三国志
董卓の娘婿である牛輔の部将。張繍の部下の胡車児とは別人です。董卓と呂布が、王允の計略「美人局の計」にかかり、呂布が董卓を殺害。李カク、郭シ、樊稠ら残党はそれぞれに逃げ散りました。牛輔は5千の兵を連れて呂布軍と闘いましたが敗退。形勢不利と悟った牛輔は、胡赤児を呼び出しました。「呂布の武勇にあっては、とても歯が立たぬ。李傕(りかく)たち4人を裏切り、黄金珠玉を盗んで、心知った4、5人だけを連れて逃げよう...
投稿日:2013.01.29 カテゴリ:漢朝末の官軍 三国志
黄巾賊を討伐した朱儁将軍は車騎将軍に封ぜられ、朱儁は孫堅・劉備の功を奏上しました。 孫堅は朝廷内の伝を使って別群司馬となりましたが、伝のない劉備には何の沙汰もありませんでした。 洛陽の町を劉備三兄弟がぶらついていると、前方から郎中張鈞の車が…。 張鈞は、劉備玄徳の功績が多いのを知り、何の沙汰もないことに驚き、すぐに参内しました。 「先に黄巾が謀反をおこしましたるは、すべて十常侍が官職を売り、近しき者の...
投稿日:2013.01.29 カテゴリ:漢朝末の官軍 三国志
青州を守っていましたが、賊軍に囲まれて落城寸前。 鄒靖・劉備三兄弟の援軍が駆けつけ、黄巾賊を蹴散らしている時に、キョウ景は民兵を率いて乱入。賊軍を壊滅させた。 劉備をきちんともてなしてくれたので、官軍の中では良い人^_^; ウィキを調べたら、架空の人物ですって・・・。 史実には、黄琬(コウエン)という方が、当時青州太守を務めていたそうです。...
投稿日:2013.01.28 カテゴリ:その他賊 三国志
大半の黄巾賊を討滅したものの、後漢末朝廷の脆さは中華全土の知ることとなりました。。。。その間隙をついて独立したのが張純・張挙兄弟です!狂気を感じさせる張純。かっけー!演義では第2回に登場。幽州漁陽郡にて挙兵。張純は中山太守でしたが、後漢末の混乱に乗じて安定王を名乗り、烏桓丘力居と結託して青洲・徐州・幽州、冀州を荒らしまくりました。朝廷は十常侍に牛耳られていましたが、公孫サンに平定を命じました。白馬...
投稿日:2013.01.27 カテゴリ:黄巾賊 三国志
後漢末に中国各地で発生した黄巾の乱。一見、力押しのように見えますけど、黄巾の信徒やそれに煽られた農民たちが、自然発生的に蜂起したわけではありません。大賢良師張角ら幹部の組織的な蜂起はもちろん、洛陽を大混乱に陥れる策謀も持ち合わせていたのです。その謀略をになったのが馬元義。馬元義さん馬元義と言ったら、横山光輝三国志で劉備玄徳が旅の途中出会った黄巾賊のお頭で有名?です。劉備を見どころのある若造だと言っ...
投稿日:2013.01.26 カテゴリ:黄巾賊 三国志
オーラ開放!!! 「張角さまあー!( ゚д゚)」 大賢良師張角が官軍に討たれ死亡。 この仇を討つべく、趙弘、孫仲、韓忠の賊将たちが立ち上がった! 相手は詔を受けて出動した朱儁、それに随行していた劉備三兄弟です。 先鋒の劉備三兄弟が西南方角から攻めてきたので、韓忠が出馬して食い止めます。 もうこの時点で死亡フラグがぶっ立っていますが、最後までお付き合いください。 その間、朱儁の本隊は東北から攻め城門を攻撃。 韓忠...
投稿日:2013.01.25 カテゴリ:黄巾賊 三国志
馬元義の洛陽蜂起計画が失敗。184年2月、馬元義が官軍に捕らえられ処刑されたあと、張曼成は張角の蜂起に呼応し、南陽で民をかき集めて挙兵。「神の使い」と言われ、数万人の民衆が集まったそうです。使徒降臨ってやつですかね。かなりカリスマはありそうです^^;南陽太守を打ち取り、宛城を占領しました。100日余り占領したそうでが、南陽太守秦頡が着任すると、この軍勢に敗北。斬首されました。後漢書には記載はあります...
投稿日:2013.01.25 カテゴリ:その他賊 三国志
陽明皇帝を知っていますか?「あ~、あの会稽で挙兵した許昌だろ?」と思った方、おかしいです。演義第2回に孫堅がどうして有名になったかというエピソードに登場。孫堅が少年の頃、海賊を数十人打ちとった話と一緒に語られています。許昌は会稽で数万の民衆を集め、陽明皇帝を名乗り挙兵しました。勇士1000人を集めた孫堅に打ち破られ戦死。演義ではさらりと紹介しましたが、この乱は172年11月—174年11月のおよそ三年間続き...
投稿日:2013.01.25 カテゴリ:黄巾賊 三国志
唐周さん演義でも登場しますが、扱いは出落ち。184年3月に黄巾党の同志を洛陽で洛陽で蜂起させ、その他の都市で一斉蜂起しよう・・・という計画がありました。唐周、馬元義はこの計画を実行すべく、洛陽へ潜伏。唐周は何を思ったか、宦官の封ショに密告したため、馬元義は処刑され。結果的に張角は日を待たずして、黄巾の蜂起を起こさざる負えなくなった。唐周のその後はわかりませんが、おそらく殺されたでしょうね…。...
投稿日:2013.01.25 カテゴリ:その他賊 三国志
顔グラはこちらからhttp://baike.baidu.com/picview/879754/879754/0/1a94b36ea0eb14c981cb4ae7.html#albumindex=0&picindex=0後漢末は荒れてますね!黄巾党の乱だけでなく、様々な賊が群がり起こりました。これは漢朝の腐敗、十常侍などの貪官汚吏がはびこり、天災や飢饉が発生しても人民を顧みないから起こったのです。人民達は食うや食わずでしたし、「飯を喰わせてくれるカリスマ性をもった」奴だったら、正直誰でもいい。そん...
投稿日:2013.01.25 カテゴリ:黄巾賊 三国志
顔グラはこちら↓ ↓ ↓http://baike.baidu.com/picview/236676/5494764/0/b90e7bec54e736d19f6868e49b504fc2d46269e7.html#albumindex=0&picindex=0後漢末の黄巾族の反乱。朱儁将軍、劉備三兄弟は張角の弟張宝軍7,8万人と激突。張宝は副将高昇に当たらせ、これに張飛が応じました。数合せずして、張飛に討ち取られました。終了!...
投稿日:2013.01.24 カテゴリ:黄巾賊 三国志
黄巾賊の大将のひとり程遠志の副将。三国志演義第1話で程遠志とともに暴れまわっていた。義兄弟の杯を交わしたばかりのテンションバリ高の劉備三兄弟に闘いを挑んだ男。義勇軍500に対して、黄巾賊は50000。圧倒的な数字なので、兵士にかからせればいいものを、小勢の義勇軍と侮り、自ら身を乗り出したのがまずかった。相手は張飛。張飛の蛇矛を躱すことが出来ず、一瞬にして討ち取られた。士気を大いに挫いたので、この男...
投稿日:2013.01.24 カテゴリ:黄巾賊 三国志
程遠志…。この名前は意外と忘れないもんですね。三国志や三国志演義を読むと、はじめの頃に登場するので、結構記憶にある読者さんもいるかと思います。http://www.sgcha.cn/intro/639.htmlこの中国サイトだと、なぜか程志遠になっています^^;。さて、こいつの活躍ぶりですが、演義を見ての通り。五万の黄巾兵を率いておきながら、5百の義勇兵しか率いていない劉備軍の関羽と大戦。賊将なだけに将軍自ら戦うことが、どれだけリスク...
投稿日:2013.01.24 カテゴリ:黄巾賊 三国志
火計に追い詰められる波才波才は三国志演義には登場しませんが、活躍したと思われる描写はありました。演義の中で「朱儁や皇甫嵩が苦戦を強いられてた」という記述もありますし、おそらく、波才に苦しめられていたのだと思います。184年の張角の蜂起に呼応し、張曼成、張燕、張牛角らとともに挙兵しました。潁川郡で、朱儁ら官軍を相手に大善戦し、撃破。更に追撃して、皇甫嵩・朱儁を追い打ちし、籠城まで追い込みました。闘い...
投稿日:2013.01.24 カテゴリ:未分類
はじめまして!諸葛菜と申します。 なぜ、諸葛菜というかはサイドバーにあるとおり、 諸葛菜とは諸葛亮が兵士に持たせた兵糧のことです。「オオアラセイトウ」という花大根です。根から茎や葉まで生でも煮ても食べられるので兵士に愛用されました。 というわけです。 三国志演義後半に絞って、地味武将たちを書いて来ました。まだまだ、後半武将も大勢いるのですが、三国志演義前半を見返してみると・・・ いるわいるわ・・・出落...